DISCOVERY
黒いダイヤモンドの軌跡――フランスにおけるトリュフの歴史と未来
トリュフ文化の中心にはいつもフランスがいた
フランス料理を語るうえで欠かせない存在――それが「黒いダイヤモンド」と称されるトリュフです。そして逆に、トリュフの歴史を紐解くときにも、フランスは決して外すことのできない舞台といえるでしょう。豊かな香りと希少性によって、美食家やシェフたちを魅了し続けてきたこの食材は、長い歴史の中で人々の信仰や文化、そして農業の変遷と深く結びついてきました。
本記事では、フランスにおけるトリュフの歴史と文化、生産量の変化とその背景、さらにペリゴール地方の現状に迫り、この稀少な食材がどのように未来へと受け継がれていくのかを探ります。
宮廷を虜にした香り、フランス・トリュフ物語
フランスにおけるトリュフの歴史は中世にさかのぼります。 当時、黒トリュフは「悪魔の産物」と見なされ、魔女の儀式や黒ミサと結びつけられるなど忌避されていました。しかし、14世紀に教皇庁がアヴィニョンへ移ったとき、トリュフは厨房へと姿を現し、プロヴァンスのワインとともに教皇の味覚を魅了しました。
ルネサンス期にはフランソワ1世がスペインでトリュフの魅力に触れ、フランス宮廷に広めました。以降、トリュフは媚薬的効果を持つと信じられ、恋や美食の象徴となります。 18~19世紀には美食家ブリア=サヴァランが黒トリュフを「黒いダイヤモンド」と称賛し、七面鳥のトリュフ詰めなどの料理が宮廷や上流社会で愛されました。この時期、ペリゴール産トリュフは品質の基準とされ、フランス全体で黄金時代を迎えました。
『美味礼賛』の著者ブリア=サヴァランは数多くの名言を残している。
トリュフ生産量の盛衰――黄金期から現代の復活へ
トリュフの革命:パリ万博で披露された人工林
1808年、ヴォクリューズ県の農夫ジョゼフ・タロンは、自生するトリュフの森でドングリを蒔けばトリュフが繁殖することを発見しました。 この気づきはやがて、計画的なトリュフ栽培の幕開けとなります。 そして1855年のパリ万博では、若きオーギュスト・ルソーが世界初となる人工林「トリュフィエール」を披露。人類がトリュフを森から畑へと導き出した瞬間は、万博を訪れた人々を大いに驚かせました。
このパリ万国博覧会から公式にボルドーワインの格付けが始まった。
栽培に成功した黒トリュフ ― 19世紀後半、輝く黄金期へ
統計学者M. Chatinによれば、1869年の生産量はすでに1,588トンに達していました。1880年には1,320トン、そして1892年には1,000~2,000トンという記録的な収穫が報告されています。今日の研究者は「実際は1,000トン前後」と推定するものの、当時の豊かさは疑いようがありません。この急成長の背景には、フランス革命後の森林管理の自由化や、害虫フィロキセラによる壊滅的な被害を受けたブドウ畑のトリュフ畑への転換があります。こうしてフランスのトリュフは、まさに「黒いダイヤモンド」と呼ぶにふさわしい黄金時代を迎えたのです。
栽培されたトリュフは、耕された整った土壌で育つため、形が均等で丸みを帯びていることが多いのが特徴。
多くのフランス兵が命を落とした第一次世界大戦。
戦争 ― 衰退の20世紀
トリュフ栽培によって生産高が大幅に増えた結果、1914年にはトリュフの価格はジャガイモとほぼ同じ水準にまで下がり、フランスの一般家庭でも手に入る身近な食材となったのです。しかし、第一次世界大戦の勃発が状況を一変させました。農村人口の減少、農業の機械化、そしてトリュフ畑の破壊──木を切って薪にしたほうが収入になる現実が、かつての黄金時代を覆い隠しました。干ばつによる不安定な収入や、伝統的農法の放棄も追い打ちとなり、輝かしい日々は遠い記憶となってしまいます。その後もトリュフ生産は下降を続け、1965年にはわずか約150トン、1990年には20.1トンにまで落ち込みました。かつての栄華を偲ぶには、あまりに寂しい数字です。
黒いダイヤモンドの再興 ― フランス国内で高まる渇望
近年、菌根苗の普及や科学的な栽培法の導入により、フランス産・黒トリュフは再び息を吹き返しています。現在の生産量は平均30~50トン。豊作の年には100トン近くに達することもあり、直近の2023/2024シーズンには60トンという記録を打ち立て、未来への期待を大いに高めました。
しかし一方で、国内需要は生産量の約2倍に達しており、供給不足は依然として深刻な課題です。フランスの食文化を支える貴重なこの食材を、いかに次世代へと受け継ぐか――その挑戦はまだ続いています。
伝統と挑戦 ― ペリゴール地方、名産地のいま
冬の黒トリュフ(Tuber melanosporum)は、その名を冠して「ペリゴールトリュフ」と呼ばれることもあります。実際、ルネサンス期からペリゴール地方では天然の黒トリュフが自生し、その品質の高さで知られてきました。
栽培が全盛を迎えた19世紀後半、ペリゴール地方(ドルドーニュ県)の生産量は160トンに達し、ヴォクリューズ県(470トン)には及ばないものの、フランスにおける重要なトリュフ産地のひとつでした。しかし当時すでにフランス全体の約75%は南東部で生産されており、現在ではそのシェアはさらに拡大。フランス国内の生産量の約80%がヴォクリューズ県を中心とする南東部に集中し、販売においてもおよそ90%を占めています。かつて「黒いダイヤモンド」の名声を支えたペリゴールは、近年では生産の減少が統計にも表れているのです。
とはいえ、ペリゴールの灯が消えたわけではありません。ドルドーニュ県では生産の維持・拡大を目指し、専門組織による支援が進められています。たとえば「ペリゴール県トリュフ生産者連盟」には約1,550名の会員が所属し、植林前の土地診断や土壌分析、菌根苗の提供、栽培技術の指導から、剪定・耕作・再播種まで一貫した技術サポートを行っています。さらに、トリュフ犬の訓練や品種識別、調理法に関する研修、市場の組織化による販売支援まで、その活動は多岐にわたります。
ペリゴール地方は、かつての栄光を取り戻すべく、新たな挑戦を続けているのです。
黄色:ドルドーニュ県 青色:ヴォクリューズ県 ヴォクリューズ県が位置するフランス南東部はトリュフ栽培に理想的な自然条件が揃っている。
七面鳥のトリュフ詰めレシピ
*1903年出版の料理本「ル・ギード・キュリネール」からの抜粋
詰め物の準備手順
1. 豚の脂身とフォアグラをサイコロ状に切りこれらを細かくすり潰します。
2. トリュフの皮(épluchures de truffes)を加え、弱火で温めて柔らかくし、その後ふるいにかけます。
3. この脂のうち500グラムを溶かします。四つ切りにしたトリュフと、塩、胡椒、ローリエの葉で調味したものを加えます。10分間煮ます。
4. 蓋をして冷まし、その後、残りのトリュフ入りの脂(手順2でふるいにかけた残り)と混ぜ合わせます。
七面鳥への詰め方と準備
1. 七面鳥は側面から中身を取り出し首の皮を非常に長く残しておきます。
2. 胃の部分(estomac、食道下部や砂肝周辺を指す)の骨を外します。
3. 内部に、準備した豚の脂、フォアグラ、トリュフの詰め物を入れます。
4. 用意しておいた美しいトリュフのスライス(約12枚)を、胃の皮(胸肉の皮下)に滑り込ませます。
5. 詰め物を終えたら、七面鳥を24時間から48時間、涼しい場所で休ませます。
「七面鳥のトリュフ詰め」にまつわるエピソード
ブリア=サヴァランは、1825年に出版された著書『味覚の生理学』の中で、トリュフ詰めの七面鳥をディナーで供される料理の最高峰と表現しました。
イタリアの作曲家ジョアキーノ・ロッシーニは、生涯で三度だけ涙を流したと回想していますが、その最後は、ピクニック中に平底舟からトリュフ詰めの七面鳥が水に落ちた時であったという心に残る逸話が残っています